「大満足の人生だった」という言葉の重み

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日常
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  先日,90歳代の高齢女性が一過性の意識レベル低下で救急搬送されてきました.ヘモグロビンという血液の濃さを表す貧血のマーカーが正常値の1/3程度しかなく,輸血を開始しつつ精査の方針となりました.CT検査では十二指腸に腫瘍・出血が疑われ,胃カメラを実施したところ,やはり十二指腸にガンが見つかりました.出血もあり止血が検討されましたが,胃カメラ中に呼吸状態が悪化,急変しました.胃カメラは中止となり,家族を集めて病状説明を実施しました.

 予期せぬ急変であり,生命が危機的状態であることをお伝えしました.ご家族も突然のことで動揺されていましたが,状況を理解していただきました.その後,適切な点滴などにより患者さんの意識は元通りになり状態は安定しました.

 翌々日,私は再び家族へ病状説明を実施しました.全身状態を考えると十二指腸ガンは手術などでの根治は不可能であり,十二指腸は腫瘍により破れかかかっていて今後の食事も食べられそうにないことを告知ました.さらに悪いことに,手足の血管が非常に見えにくく,点滴を継続することが困難であるという事実もお伝えしました.

 今後は緩和的に診ていくしかなく,その場合,長期点滴の手段として頸部や大腿などの太い静脈にカテーテルを留置する処置が必要になるとお伝えしました.多少のリスクが伴う処置であり,行うかどうかについてご家族の意見を伺いました.ご本人はかねてより延命治療は希望しないとおっしゃっていたとのことですが,ご家族としては本当にこのまま治療を中止してしまって良いのか決めかねている様子であり,ご本人に直接話をしてみましょうということになりました.ご本人は高齢ではあるものの認知機能は問題なく会話もできる状態だったからです.ご家族よりご本人にカテーテル留置に関する話を分かりやすく伝えていただきましたが,ご本人は頑なに希望されませんでした.繰り返し「大満足の人生だった.もういいんや」とおっしゃり,ご家族は涙を流され,その姿を見て私も思わず目に涙を浮かべてしまいました. 

 きっと,ご本人ももう長くは生きられないと分かっていたのでしょう.とはいえ,なかなかに言える言葉ではないと思います.私は数多くの患者さんをこれまでお看取りしてきましたが,多くの高齢患者さんは認知症などの問題を抱えており,自分で意思決定できる状態でありません.そのような場合は,いわゆる老衰の状態であり,ご家族としても終末期は積極的な治療は行わないという選択肢をある意味,合理的に選ばれることが多いです.ただ,認知症がなく意識がはっきりしている患者さんに対して,本人が延命治療を希望されない場合のご家族としては,複雑な心境に立たされていることが推察されます.自分の親には少しでも長く生きていてほしいと思う気持ちは誰しも持っていると思うからです.それでも「大満足の人生だった」という言葉は非常に重い言葉であり,ご家族が延命治療を行わないということを選択される強いきっかけになったと思われます.

 人間,いずれ全員が亡くなるということは紛れもない事実です.自分が将来,死に瀕した時,「大満足の人生だった.もういいんや」と言えるようになりたいものです.毎日,命の現場で働いている私ですが,1日1日を大切に生きようと改めて感じさせていただいたエピソードでした.

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